豊橋情報 > 東陽校区 > 戸田宣光石碑

戸田宣光石碑

 このエントリーをはてなブックマークに追加 

江戸時代、数回の転封を繰り返し、最後は松本城主を11代150年以上つとめた戸田氏の祖先、戸田宣光の石碑。最後の松本城主、戸田光則が嘉永2年(1849年)に建立したもの。

戸田氏は、応仁の乱の頃には豊田市の辺りに住んでおり、三河湾近辺で勢力を広げたり狭めたりしていた。あの有名な、松平家の竹千代(後の徳川家康)を、人質として駿河の今川家に送るはずだったのを、途中で尾張の織田家に引き渡してしまったのも、この戸田氏である。この、竹千代を織田に渡した事件で、戸田氏は今川義元の怒りを受けて、当時の戸田の殿様は田原で討たれてしまう。だがそのとき、戸田の分家であった仁連木の戸田氏は田原の戸田本家との関係を断絶し、今川義元の攻撃は受けずに済む。そのときの仁連木の戸田の殿様が戸田宣光なのである。その後、この仁連木戸田氏は徳川家康に従い、江戸時代を過ごし、明治維新を迎えることになる。

この石碑は畑の真ん中にあって少々寂しい場所にある。

豊橋情報 > 東陽校区 > 戸田宣光石碑

Return to page top