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鞍掛神社&駒止めの桜

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多米民俗資料収蔵室とともに、ここも私の小学生時代に来た覚えがある(^^) 有名な、頼朝伝説のある鞍掛神社である。

創立年代不詳。建久元年(1190年)、源頼朝が京へ上る途中、ここに鞍を奉納して武運長久を祈願したことから鞍掛神社と改めたという話だ。

近くにある、いわゆる「駒止めの桜」は、鞍を奉納したときに頼朝がこの桜の木に自分の馬をつないだことから呼ばれる名前。現在のこの桜の木は、昭和51年に植えられた後継樹。

なお、葦毛湿原の名前の由来になった「葦毛」という地名は、頼朝の葦毛(あしげ)の馬を、この地に手厚く葬ったことからきているそうだ。頼朝の愛馬で、厳しい旅程に絶命したそうである。

なぜ東陽校区を頼朝が頻繁に往来するのか、今考えると不思議だが、かつてこの辺りには鎌倉街道というものが通っていたそうで、そこを頼朝が利用していたということだろう。メジャーな東海道が整備されるのは江戸時代の話だから、鎌倉時代には東陽校区を街道として利用していたのである。

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