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宿場町の町並み

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二川と言えば、二川宿本陣を中心とした古い町並みが有名。江戸時代、徳川幕府が東海道への宿場の設置を命令し、そのときに豊橋市内に設置された宿場は、吉田宿と二川宿である。(吉田宿は、現在の豊橋市札木町付近。豊橋駅に近い。)(JRの東海道線は、旧東海道に沿ってレールが敷かれているため、東海道の通っていた二川にも現在JR二川駅が設置されているのである。)

JR二川駅北側の道を東に200mほど歩くと、急に道幅が狭くなる。ここが二川宿西の入り口だ。この街道は、途中不自然に道が曲がっているのだが、これは街道の見通しを妨げるため。鉤の手に折れているこの角の一つ目が二川駅から約1キロほど歩いたところにあり、道が右に曲がっているのがわかる。

ここを曲がると、すぐ右手に見えてくるのが二川宿本陣資料館だ。二川宿本陣資料館については後述するとして、もう少し先を歩いていってみることにする。

二川宿本陣資料館からさらに東へ200mほど歩いたところに、二つ目の鉤の手の曲がり角があり、左手には格子戸の古い建物が見える。駒屋といわれた、江戸時代の商家のたたずまいを残す貴重な建物だ。その隣にあるのが東駒屋で、明治以来、みそやたまりを作っている。

駒屋以外にも、この周辺には多くの古い建物が残っており、街道自体も狭く当時のたたずまいを伺い知ることが出来る。(狭いおかげで車は徐行運転。)懐かしの郵便ポスト(現役)や火の見櫓、一見わかりにくいが防火壁なども見かけることができる。

そんな二川の古い町並みの終端としては、妙泉寺を紹介しておきたい。駒屋の東の川を渡って少し歩くとあるのが妙泉寺。境内には、喚声10年(1798年)に建てられた「紫陽花(あじさい)塚」と呼ばれる松尾芭蕉の句碑があり、南圭・一隠の他7名の名前が見える。妙泉寺は江戸時代には格式はかなり高く、寺子屋も開いていたそうだ。(左の写真が紫陽花塚。)

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